しんそう士紹介|京都府の歪みなおし専門院「しんそう宇治六地蔵」

しんそう士紹介

プロフィール

しんそう

Tomoaki Matsumoto

経歴

昭和43年(1968)2月15日生 B型
宇治市六地蔵で生まれ育つ。

15歳で腰椎分離症になり、
手術を宣告される。
18歳の時バイク事故、
全身打撲で意識不明になり
救急車で運ばれそのまま入院。
骨折は幸い無かったものの、
強打したため左膝が曲がらなくなる。
胸椎がずれて左の肩甲骨から首周辺が
異常なほど凝りだす。
不整脈がひどく、
時おり息苦しさや冷や汗が出てきて、
何もやる気が起きなくなる。

不安だらけの毎日を送っていたそんな時、
知人の紹介でしんそうを知る。
紹介された山口県岩国市まで行き、
人生初のしんそうを受ける。
18歳の冬のこと。
岩国の先生から大阪の鵜飼先生を
紹介していただき、あびこまで通院する。
鵜飼先生に不調のすべてを改善していただく。
おかげさまで、現在も腰椎の手術はせずに、
元気に過ごせています。
やっと生きる希望が持て、
様々な仕事をするも、
自分にはしんそうしかないとの
強い思いから
弟子入りを志願。
24歳で当時広島におられた
創始者の林宗駛先生のもとに
弟子入りをさせていただく。
平成8年(1996)、
約4年お世話になり帰京する。
1月から研修会に参加。
この年28歳、
出張形式でしんそうを開業する。
翌平成9年(1997)4月、29歳、
今の場所で開院する。
常に最高最良のしんそうを
みなさんに提供できるように
研修会に参加し続け、研鑚を積む。

平成25年(2013)5月。
しんそう大坂会理事に就任。
研修会の企画運営、講義、技術指導、
基礎科クラスの指導を担当。
現在に至る。

メディア掲載

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松本 友明の歩み

つらかった十代

私がしんそうの仕事をするまでの
経緯を説明します。
高1、15歳の時、ハンドボールをしていて
腰を強打して脊椎分離症になり、
手術を宣告される。手術に不安を感じたため、
整体・カイロプラクティック・
マッサージ・整骨院・はり等
様々な治療を受けるが
思わしい改善はせず。

18才の時、バイクで事故にあい、
全身打撲・
意識不明で入院。
骨折はなかったものの
左ひざが曲がらなくなり、
歩くのも片足を引きずってしまう状態。
肩こり・背中の痛み・顎肉節痛・不整脈など
腰痛だけでもつらいのに、
様々な不調がのしかかる。

しんそうとの出会い

バイク事故のあと、
当時バイトをしていた店の
オーナーさんから紹介を受けて、
山口県の岩国まで診察を受けに行く。
今まで受けたことのない優しい施術で
『えっ』と思うも全ての不調の原因が
手足の左右差であること、
手足の左右差を揃え、
身体の歪みをなおさなければ改善しない
という説明を受け、
何をすれば良くなるのか分からず
、生きていく希望が持てなかった当時の私に
一筋の光を与えてくださいました。
これがしんそうとの出会いです。

その後、
大阪あびこの鵜飼先生を紹介していただき、
通院し、腰も膝も全ての症状を
改善していただきました。

頭を丸めていざ広島へ

18才でしんそうと出会い
生きる希望をもらい、
それからというもの
また無理をして腰を痛めたり、
鞭打ちになったりしても
『しんそうを受ければ大丈夫!』
という安心感があったので、
何がおきても平気でした。
生きていくうえで
これは本当に大きかったです。
様々な職を経験してきた23才の時、
仕事の無理がたたり、腰痛から
左足の坐骨神経痛がかなり悪化して、
また鵜飼先生になおしていただきました。

そのときに決心しました。
『しんそうには
一生お世話にならなければいけない。』
それならば自分もこの世界に入ろう。
自分の人生を変えてくれたしんそうを
今度は人にしてあげよう!と。
そして当時広島におられた創始者である
師匠の林 宗駛先生の元へ弟子入りを
させていただけることになりました。
24才。1992年3月。
まだとても寒く身の引き締まる日の朝、
出発前の写真です。

京都へ帰郷 さあやってやる!

1996年2月。約4年間広島でお世話になり、
京都へ戻ってきました。
1月からは一般の研修生として研修会に
参加させていただくことになりました。
自分自身の腕にはまだまだ
自信が十分もてませんでしたが、
『しんそう』に対する自信はこのとき既に
並々ならぬ物を持っていました。
早速チラシを作り、出張専門ではじめました。

口コミで次から次へと紹介していただき
京都中を毎日車で走り回っていました。
『歪みをなおせば大丈夫!
私も楽になりました。
あなたも良くなりますよ!』
しんそうに対する自信から、言葉が溢れ、
行く先々で説明し施術をしてきました。

ともにすこやかなる場を目指し開院

1997年4月開院。29才。

『しんそうに出会えて
すこやかにしていただき、
今度はみなさんも
すこやかになってもらいたい。
ともに健やかなる場となるように。』
そんな想いから屋号を
『友健庵』として開院しました。
年齢、性別、仕事、立場などが違う
様々な『人』が来られます。
痛みなどの症状を
なおしてほしくて来られます。
しかしなおすのは身体の歪みです。
痛みなどの症状にムキにならず
歪みと向き合ってきました。
しんそうを信じ、自分を信じ、
今の自分が出来ることを精一杯やろう!
白いシーツの上が自分の
舞台であり、
真剣勝負の場。
来られた時よりも少しでも歪みをなおし、
少しでも楽になって帰ってもらいたい。
そんな想いを胸に
日々『歪み』と向き合ってきました。
2020年10月現在、開院して24年目を迎え
今も変わらぬ気持ちで仕事をしています。
『しんそう宇治六地蔵』当院は、
本日もともにすこやかなる場として
存在しています。

世の中、生活ための仕事は数々あれど、
人の人生を人の未来を変えて
喜んでもらえる仕事はそうはありません。
二人の息子に
『父ちゃんの仕事はしんそうやで、歪みを
なおしてみんなを元気にする仕事やで』
胸を張ってそう言います。
つらかった十代、生きる希望もなかったあの日、
このままで終わるか!終わってたまるか!!
そうは思っても身体は自由に動かず・・・。
どん底からしんそうに出会えたおかげで
『禍い転じて福となす』ことができて
今の自分があります。
『しんそうあり 故に我あり』

私の仕事はしんそうです。

今後の展望

国王、大統領、アラブの石油王、
お医者さん、ホームレスの人。
人として立場は違えどもこの星で重力に
抵抗して生きるという条件は一緒です。
歪んでいていい人は一人もいません。
つらい形で重力に抵抗していて
快適な人は一人もいません。
ただ、皆さん歪んでいることを
知らないだけです。
歪みとはどういうことかも
知らないのです。

しんそうは約500万年前に二足歩行という不安定な形で
重力に抵抗を始めて以来の
人類初の快挙です。

壮大なる仕事です。
人体の仕組みが変わらない限り、
永遠に受け継がれていく仕事です。
人種、
国境も関係なく
誰にでも通ずる仕事です。
しかし、
今のところ実質日本にしかありません。
私は今は宇治という地域の
一先生でしかありません。
しかし宇とは天を示し、
治とはおさめるという意味です。
たまたま宇治という土地に生まれ育ち、
仕事をしているのも
何かあるのかもしれません。
ゆくゆくは世界中を
『しんそう』という人類共通の最高の
最良の商品を抱えて
飛び回っているかもしれません。

私はイメージできます。
青い目の人が
しんそうを学んでいる姿を。
黒い肌の人が
研修会に参加している姿を!
世界中の人にしんそうを知ってほしい。
そして是非、
縁のある人は受けてほしい。

このホームページが、
世界の人へしんそうの橋渡しになることを
願っています。